7月14日ベルン

日本は大変な暑さになっているようだが、ここスイスは天国だ。まったくの暑さしらずだが、日本に帰ってから、旅の疲れと暑さのために、体調をくずしはしないかと心配だ。

今朝のグリンデルワルトの天気はあいにくの雲で、気温は16℃だった。「山の天気と、女の気持ちは変わりやすい」と言う諺があるように、アルプスの天気も変わりやすいのだろう。しかしツェルマットといい、グリンデルワルトといい、我々が行った時の天気の女神は、我々に微笑みかけてくれた。山の女神に感謝をしなければならない。

我々が泊まっていた宿の前に、ひときわ大きくそびえ立っている山がある。アイガーのようだ。宿から見えているのは、北壁なのか南壁なのかわからなかったので、今朝宿代の集金に来た家主さんに、聞くつもりだったが、忘れてしまった。残念!しかしきっとアイガーだと思う。

今日は宿を9時過ぎに出発した。今日は予定を変更(もとはモントルー)して、スイスの首都ベルンに行くことにした。9時過ぎにベルンに向けて出発した。そしてベルンの連邦政府議事堂近くの駐車場に、午前1015分頃に着いた。距離にして約80kmで、所要時間は90分だった。予想以上に近い。予想の半分くらいだった。

車を留めて、まず連邦政府議事堂方向に向かった。連邦政府議事堂前の広場で、今日は朝市をやっている(ガイドブックで知った)というので行った。ガイドブックの通り、連邦議事堂前のブンデス広場では野菜、果物、花、チーズなどを販売する朝市をやっていた。またその並びのバァイセンハウス広場では、朝市を開いて、衣料品や雑貨などを売っていた。下の写真は連邦政府議事堂とブンデス広場、バァイセンハウス広場での朝市。

朝市の次は、ベルンのメインストリート(だと思う)の、マルクト通りとクラム通りだ。これらの通りを、路面電車やトロリーバスを、気にしながら歩いた。これらの通りには時計塔があったり、アインシュタインの家があったりしたが、観光客でごった返していた。

次は大聖堂に行った。大聖堂に着いた時、巨大なパイプオルガンから、聖歌なのかと思うが、心地よい音色の曲がながれてきていた。しばし椅子に腰かけて聞いていた。また美しいステンドグラスも見せていただいた。

時間は正午前、どこかでランチでもと思いさがしたが、時計塔近くにマクドナルドがあった。早速中をのぞいたが、なんとビッグマックが、CHF11.70もする。あんまりやないかと思ってやめて、その近くのイタリアレストランで摂った。

今日もだが、ランチを摂っていると、必ずと言っていいくらい、スズメが非常にフレンドリーに近くまでやってくる。そして奈良公園の鹿の如くおねだりする。奈良公園の鹿は、おねだりしてもらった食物を、決して子どもにはあげないと思うが、スイスのスズメは違う。おねだりしてもらった食物を、子どもにも我々の目の前でやっている。日本ではなかなか見られない光景だ。

ランチが終わったのが午後110分頃だった。午前中に行った連邦政府議事堂の見学会が、午後130分からあるというので、連邦政府の議事堂へ向かった。決して見られるものではないので、所定の手続きを済ませて、見学会にくわわった。

残念ながら見学会は、我々含めて約20人だったが、我々以外はみんなイタリア人だったということもあってか、議事堂内の説明はすべてイタリア語だった。そのため、ガイドさんの言っていることが、まったく理解できなかった。

しかし日本の国会議事堂も見たことがないのに、約1時間にわたってスイスの連邦政府議事堂の内部を、ゆっくり見学できたことはよかったと思っている。次は連邦政府議事堂の内部の写真だ。

連邦政府の議事堂見学が終わったのは、午後230分ちょっと前だった。これでベルンの予定を終わり、今晩の宿のあるVeveyに向けて出発した。時間は午後245分頃だった。

ベルンからVeveyも、2時間半はかかるものと思っていたが、なんと1時間25分くらいで来ることができた。もちろんほとんどが高速道路だったこともあったと思うが、ベルンからホテルまでの距離が、約92kmしかないのだ。

スイスにやってきて今日で5日目になる。毎日運転しているが、料金所を見たことがないし、高速料金を支払ったこともない。ということは、スイスにはりめぐらされている高速道路は、すべて無料なのかと思うが、どうなんだろうか。おりをみて調べてみよう。

今日の宿は、Veveyにあるホテルドゥレマンジョンニーだ。Veveyの街から300mくらいの高台にある見晴らしのいいホテルだ。

7月15日モントルー~VEVEY~ラボー

今日、サッカーワールドカップの決勝戦があったようだ。ローザンヌのホテル近くのパブや、コーヒーショップから、大歓声がわきあがっていた。ここローザンヌの人たちは、レマン湖をはさんで対岸はフランスなので、きっとフランスを応援していたと思う。結果は、フランスがクロアチアに勝って優勝した。

今朝のホテルのブレックファストはAmazingだった。ブレックファストだけではない。ホテルからの景色もFantasticだった。Veveyやモントルーの町、ラヴォーのブドウ畑、レマン湖、そして対岸のフランスの町や山々が、高台のホテルから見えた。wonderfulだった。

またブレックファストもよかった。明るく洗練されたレストラン、料理の色あいのよさ、そして雰囲気、申し分がなかった。屋外でブレックファストを摂った。レマン湖を旅するという人があれば、是非薦めたいホテルだ。

ホテルを午前910分頃出発して、モントルーのシオン城に向かった。そしてシオン城には9時半頃着いた。約20分で到着した。

現在のシオン城は、13世紀から16世紀にかけてのサヴォワ家領時代、16世紀から18世紀末にかけてのベルン人所有時代、そして19世紀初めから現在にかけてのヴォー州所有時代と、何世紀にもわたり、彼らによる建造と改築を経てきたということだ。

そしてシオン城は、自然の地形によって、防衛されてきた場所で、ヨーロッパの北と南を監視する、戦略上の要塞として利用されてきたということだ。いうなれば、日本のお城と同じだと思うが、レマン湖ととけあった美しい風景がよかった。しかしシオン城は何故かChineseの団体さんが多かったようだ。

シオン城の次は、レマン湖を望む美しい景観と、ワイン作りの歴史が評価されて、2007年に世界遺産に登録されたラヴォー地区を、ミニトレインのLavaux Panoramic号で回るツアーだ。このツアーに参加しょうと、シェーブル駅に行った。しかし出発時間が、我々がwebでえていた時間と違って、午後230分発だということで、Veveyのチャップリン・ワールドに行った。

チャップリン・ワールドは、言わずとしれたチャーリー・チャップリンの、業績や生涯をたどるミュージアムだ。またチャーリー・チャップリンが、25年間家族と暮らすとともに、終の住処としたところでもあるということだ。

チャップリン・ワールドには午後12時過ぎに着いてから、午後1時半過ぎまでいたが、チャップリンの映画のダイジェストを見たり、映画の一場面を忠実に表現したセットを見たりした。それにしても、チャップリンのろう細工のリアルさにはびっくりした。

チャップリン・ワールドの次は、ミニトレインで回る、ラヴォー地区丘陵のブドウ畑のツアーだ。チャップリン・ワールドからは約20分くらいのところにあって、午後230分発のLavaux Panoramic号で、世界遺産のラボー地区のブドウ畑巡りをした。

1時間半のブドウ畑巡りで、途中立ち寄ったワイン醸造所では、ワインのテイスティングもあったし、今晩のワインとして、ロゼを買った。500mlCHF10だった。

ラボー地区のブドウ畑巡りが終わったのが、午後4時過ぎだった。そのあとは今晩の宿、ローザンヌのホテル・デ・ヴォヤジュール・ブチックに向かった。

カーナビゲーションの指示通り、高速道路を約30分走り、ローザンヌのICをおりて、ダウンタウンに向かって走り、カーナビがいう目的地に着いたのはいいが、一方通行やら進入禁止やらで、ホテルが見つけられなくて、30分間以上くるくるまわっていた。最後は車を無断駐車して、歩いて探し周り、やっと見つけてチェックインをした。しかし駐車場がホテルにはない。歩いて約7分間もかかる市営の駐車場に、留めに行かなければならなかった。

部屋は近代的でモダン(観光客向けではなく、ビジネスマン向けだろう)だったが、観光客にはお勧めではないと思う。明日のブレックファストはどんなものだろうか?

7月16日ローザンヌ~モジュール~ジュネーブ

ホテル午前8時過ぎにチェックアウトをし、荷物をホテルに預けて、ローザンヌの旧市街を散策した。ローザンヌ大聖堂周辺で、週末に何か音楽の催しがあったのか、あとかたずけをしている最中だった。

旧市街と言われるところを歩いてみたが、予想以上にせまかった。しかし旧とはまったく関係のないことだが、旧市街にあるMANORというショップ(ジュネーブに行ってわかったのだが、MANORは百貨店)が、えらく気になった。旧市街などの写真は次の通りだ。

何が気になったかというと、食品売場の品揃えや陳列方法だ。もう卒業したので、気になったことはあまり記さないが、こんな店が日本にあれば、流行るだろうなと思った。

駐車場が、ホテルから歩いて約7分くらいのところにあったため、キャリーバッグをゴロゴロと引っぱって歩き、駐車場まで行き、ローザンヌにある、オリンピック博物館に向けて出発した。

 

写真はホテルの玄関

オリンピック博物館は車で10数分のところにあったが、IOCの本部があるわけではない。オリンピック博物館の中で、ちょっと気になるものを目にした。何かというと、オリンピック博物館の運営に、協賛金をだしている企業の名前にだ。数十社以上の企業や団体の名前を書いたプレートが貼りつけてあったが、半分以上が日本企業だったことだ。

国際連合への拠出金は、日本が2番目に多いと聞いたことがある。オリンピックの運営金とは違うかもしれないが、オリンピック博物館の運営金を多くの日本企業がだしている。どんなメリットがあるのだろうか。

オリンピック博物館で、約40分間館内を見学したあと、モルジュへ向かった。モルジュまでは約30分間で、午前1130分頃モルジュに到着した。次の写真はオリンピック博物館での写真。

モルジュは、オードリ・ヘップバーンゆかりの花の街だという通り、街のあちこちに花が植えられていて美しかった。オードリはモルジュに住んでいたのではなく、隣村のトロシェというところに住んでいたようで、モルジュにはよく来ていたようだ。次の写真はモジュル。

モルジュを午後110分頃出発して、ジュネーブのサン・ピエール大聖堂に向かった。そして午後215分頃に着いたが、パークする場所がみつからず、今晩のホテルに着地変更した。そしてホテルアストリアには午後240頃着いた。

チェックインを済ませたあと、ホテル近くからバスに乗って、サン・ピエール大聖堂に行った。さすがジュネーブにある(関係ないか?)大聖堂だ。他の町の大聖堂とは規模が違う。

サン・ピエール大聖堂は、1213世紀にかけて建築されたようで、フランス語圏の宗教改革の中心人物のカルヴァンが、16世紀の中頃に、この大聖堂で宗教改革を行なったということで、ジュネーブが「プロテスタントのローマ」と言われるようになったということだ。

どこの大聖堂にもステンドグラスはあるが、ことのほかサン・ピエール大聖堂のステンドグラスは、バラの窓としてよく知られているということだ。

サン・ピエール大聖堂からはイギリス公園や、Pont des Berguesという橋を渡り、歩いてホテルまで戻ってきた。ジュネーブに来て感じたことがある。それは黒人(差別用語かもしれないが、そうだとすればsorry)やインド人などが目につくのだ。

何故かというと、もちろん観光客として来る人もあるかもしれないが、労働力不足を補うために、出稼ぎ労働者としてやって来ているためではないかと思う。そのほかには、国連ヨーロッパ本部や、国際赤十字委員会などの国際機関がたくさんあるということも、その理由だと思う。

アルプスからとけて流れ出た水が、レマン湖に注ぎ込み、その水がレマン湖となり、そのレマン湖の水が、ジュネーブの旧市街と、新市街の間を流れるLe Rhoneを通り、地中海に流れていくらしいが、モンブラン橋周辺の流れの速さや、水量は相当なものだった。

今日で8日目となるスイス旅行も明日が最後日だ。明日の午後340分ジュネーブ国際空港から、ミュンヘン、北京を経由して大阪に戻る。今晩のホテルは、ホテルアストリアだ。

 

7月17日スイス旅行九日目ジュネーブから帰国

今日はスイス旅行最終日だった。9日の夕方Zurichに到着してから、今日の午後440分のLH2387(ルフトハンザドイツ航空)でジュネーブを発つまでの、9日間だった。

この9日間は、ほんとうに天気の女神が微笑んでくれたおかげで、最高の旅行が出来た。ツェルマットとグリンデルワルトの天気は、何度か訪ねている人ですら、こんなにもいい天気は、めずらしいというほどの天気だった。

旅行中雨だったと思われるのは、ローザンヌに到着した15日の夜、雷鳴とともににわか雨が降った程度だったが、旅行にはまったく影響はなかった。

それにしてもよく歩いた。10日〜昨日16日までの1週間で、計101,700歩も歩いた。1日平均で14,500歩にもなる。一番歩いた日(13日でユングフラウヨッホに登った日)は、なんと25,500歩も歩いた。

右側通行の運転も今日で終わった。Zurichに着いて、レンタカーを運転した時は、久しぶりだったということもあって緊張した。しかし3日目以降くらいから、だいぶなれてきたが、カーナビには往生した(ないよりはまし)。この9日間で、Zurichからジュネーブまで約800km走った。1日あたり100余キロ走ったことになるが、久しぶりの右側通行だったので、運転はやっぱり疲れた。しかし無事でなによりだった。

ドライブで特に大変だったのは、light turnなのか、sharpe turnなのかの判断を咄嗟にしなければいけない時だった。カーナビが言ってくれるが、地図を見ながらなので、一瞬の判断が必要なのにできなかった。また間違ってturnした時の咄嗟の対応なども緊張した。しかし無事にジュネーブ国際空港まで着くことができた。

ジュネーブ国際空港は、敷地の半分がフランス領だということだ。そのわけは、ジュネーブは周囲をぐるりとフランスに囲まれているからだということだ。ぐるりとフランスに囲まれていて、くびれているところの幅は、4kmくらいしかないらしい。いろいろなところで、ジュネーブはフランスと共有しているということだ。共有しているという意味では、5万人以上のフランス人が、毎日国境を越えてジュネーブ人働きに来ているらしい。

今朝は無料のチケットをつかって、レマン湖遊覧の船に乗って、湖上からジュネーブの街並みを見た。50mくらいの高さにまで達していると思う巨大な噴水も湖上から見た。そのあとは旧市街に行き土産物を買い求めた。

翔輔と純大君にはスパイダーマンとダイナッソーのスウォッチを買った。隣近所にはチョコレート、奈良の兄にはラボォー産の白ワインなどを買った。

そしてホテルに戻って帰り仕度をし、正午前にチェックアウトをした。ジュネーブ発が午後440分と、時間があったので、国際連合の欧州本部に行った。

しかし館内に入れる時間が、午後は2時からということで、そこまでは待てなくて、入口で記念撮影をし、空港に向かった。

ちょっと時間が早いかなと思ったが、レンタカーを返す場所をさがすのに時間がかかった。余裕があって(あり過ぎた)、事故を起こさずによかったと思っている。しかしスイスは何故これほどまでに、看板というのが少ないのだろうか。カーナビも最終の詰めがなく、特に市街地では最終目的地までたどり着くのは難しい。看板も少ないとなれば、土地勘のないstrangerはいったいどうすればいいのかと問いたい。

ジュネーブ国際空港発1640分のLH2387(ルフトハンザシティリンクというらしい)でミュンヘンに向かい、1750 分に着いた。そしてミュンヘン発1935発のLH722便に乗り換えて、北京に向かった。約10時間の旅が始まった。

 

写真の飛行機はジュネーブからミュンヘンまでの飛行機だ。

しかし中国人観光客が多い。ほぼ満席(500人くらい?)で、旅客の80%以上が、 中国人観光客だったと思うが、世界の航空会社も、中国人観光客で潤っているのだろう。

 

LH722便はエアーバス社のA380-800という最新の旅客機で、ジャンボより大きい二階建ての飛行機だ。初めて乗ったが快適だった。"Goodnight"

 

7月18日スイス旅行最終日

今朝LH722便のA380800は、北京空港に定刻の午前1055 に到着した。北京空港は20数年ぶりかと思うが、まったく様変わりしていた。昔の面影なんてまったくなかったが広い。

上海のPudongも広いが、北京も広い。広いというと、ミュンヘンの空港も広大だった。空港内での移動に、1万歩近く歩かなければいけないこともあった。

北京空港での乗り換え時、指紋認証をさせられた。しかしパスポートを何度か差し込んでも、指を所定のところにおけという指示(コンピュータが)がない。どうしたのかと思ったら、先月上海で撮られていたので、その記録が瞬時に引きだされて、確認されたのだろう。

北京空港は綺麗にそしてモダンになっていた。しかしセキュリティの人たちの対応は、愛想はなくて昔とあまり変わっていない。ここらも改善しないと、先進国とは言えないだろう。

北京空港からは、1420分発のANA980便に乗った。そして関西空港には定刻より約20分遅れて、1820 分に着いた。北京空港では3時間ほど時間があったが、下手すれば乗り遅れるところだった。

出発時間と搭乗時間とを勘違いしていたのだ。同じ頃に関西空港へ出発するANAがあった。出発時間が1350分のANA6604便と、搭乗開始時間が1350分のANA980便と勘違いしていたのだ。

時間だけを気にしていて、便名を気にしていなかったのだ。同じような時間帯に、全日空機(ANA6604便はコードシェア便だと思う)2便あるとは思わなかったのだ。

ANA6604便とANA980便の搭乗口は、歩いて約20分もあって、気がつくのが遅れていたら、ほんとうに乗り遅れるところだった。出発時間だけではなく、便名もちゃんと確認しておかないといけないということだ。

今回の旅行につかった航空便は、ユナイテッド航空のマイレージの特典を利用した。特典だから後部座席で、真ん中あたりの座席になるのではと思っていたが、ANAはプレミアムエコノミークラスだったし、ルフトハンザもオーストリア航空もエコノミーだったが、前の席の窓側の座席が用意されていた。よかった。

それともうひとつよかったことがある。クウのことだ。クウには土産物も何もなかったが、元気でいてくれたことと、しっかり我々のことを覚えていてくれたことだ。決してすねたり、グレたりしない。いい子だ。

 

写真は関空に到着時に機内からみた夕焼け。